既了庵分室

如月一月の雑記

雑記07_服喪

母方の祖父が亡くなった。84歳だった。

 

肺ガンということであった。いや、最後は転移してしまったので、正確には分からない。ただ、診断には肺がんで亡くなったことになった。

 

県内でもあり、年始やお盆に限らず、割合母が頻繫に帰省していたこともあり、比較的多く出会っていたと思う。昨年は特に、祖母の方が事故で入院しており、その後の手伝いで訪れていたことも一因だ。

 

ただ、祖母と比べるとあまり強い印象は残っていない。

 

消防士であったが、私が物心ついた頃には既に定年退職していた。煙草が好きで好きでしょうがなく、趣味らしい趣味はパチンコぐらいしか印象はない。毎晩必ずグラス半分ほどまで注いだ焼酎を、緑茶で割って二杯飲んでいた。

優しいことは優しかったが、どちらかと言えば適当な人、というのが身内、親族内の評判であった。最期の入院まで、「おれぁ、どこも悪かねえ」と笑いながら言うのを、皆で呆れて突っ込む、というのがよくある光景だった。

 

昨年の10月にガンなのが判明した時、既に末期だったという。11月に入院し、一時は快復に向かい、年末年始は家に、という話だったが、年末に胃と膵臓に転移が判明した。

結局、亡くなるまで帰宅することはなかった。

 

1月2日に、祖母と母、そして祖父の姉が見舞いに行った。その頃は食事も食べなくなっており、アイスを食べるだけだったという。それすら完食出来なくなっていた。

新型コロナウイルスの関係か、終ぞ病院に見舞いに行くことは出来なかった。

 

その翌日未明、亡くなった。

緊急事態宣言の発令をかすめるように、通夜、告別式を終えた。当日は導師役の僧侶とか、色々思うことはあったのだが、きちんとできたのだろうと思う。思いたい。

 

葬儀も初七日も終わり、この記事を書いている。何故か、書いておこうと思った。